Diary, 備忘録

【備忘録】仕事と葬儀が被った

先日、家族のひとりが天国に旅立ちました。

 

昨年秋に入院の話を聞いたときは、すぐに実家へ帰り様子を見に行きました。

そのときからもう、回復する見込みはほぼないことを知らされていました。

”年を越せるかわからない、いつまでもつかわからない”と聞かされていたけれど…年越せたよ。

 

昨年末から今年の年始は、家事をしながら毎日病院へ通い看病らしきことをすることができました。

日に日に弱りしんどそうな姿を見守ることが殆どで、してあげられることも減っていく。

お別れは、遅かれ早かれ訪れる…

それでも、一緒に過ごす時間を残してくれてるんだと

感謝していました。

 

家事とか看病とかできたって生産性もなくてほんとにチカラになれてるのかな?って不安になったり落ち込んだりしたり、こんなことしかできない…と泣きながら帰った日もあるけれど

なにかできることがある、お世話することができるって、こんなに運が良くて恵まれていたんだと、この期間に改めて深く気付くことができました。

相手の記憶にも残らない、なんのカタチにもならないときもあるけれど、

大切な人の命と一緒に生きられたんだもの。

誰にも見えないけれど、私の中に世界中で私しか持ってない宝物が増えたんだって思えました。

 

地元で家事したり看病したりしたあの時間は、

相手に必要だったんじゃなく私に必要だったんだ。私のためにつくってくれた時間だったんだ。と思いました。

 

それだけでなく…

なんでも食べさせてあげられるとか、好きなように食べられるって有難いことなんだなとか。

大切なものを自分で選ぶ勇気を持とうとか。

好きなことができるようになっても、それを喜び合える人が居なかったら意味ないなとか。

大切な人が頑張りたいときに頑張らせてあげられるような自分で居たいなとか。

自分の価値を、富や名誉の下に置かないとか。

止まることを恐れるなとか。

条件が揃わないからいつもと同じじゃないからできない無理は言い訳だなとか。

私はどこに居ても必要としてもらえてるんだなとか…

 

家事と看病の毎日でいろんなことを思ったよ。

周りのおかげでつくってもらった時間、そして動ける自分の身体にすごく感謝した。

 

それでも、いつまでも地元にいるわけにはいかず…

看病を家族に託し、東京へ。

仕事に向かわせてくれた家族に感謝しています。決断してくれた自分自身にも。

 

(↑自転車20分漕いで病院に行っていました笑)

 

 

 

そして数日後。

 

死亡連絡を受け取り、東京から地元に帰ったときにはもう葬儀場の安置室でした。

 

この時期、葬儀が多いらしく…

利用した葬儀場でも既にほかの方の葬儀が執り行われていたり、安置室も満室。

最寄りの火葬場も混んでいました。

 

イヤな予感はしていたけれど、葬儀の日と私の仕事日がドン被ってしまったことを知り、

大切な人の葬儀に出られないなんて、家族の傍に居られないなんてと、余計に悲しかった。

 

だけど。

葬儀場で、家族も親族もみんな『さやか、頑張ってこい!』と仕事に送り出してくれたんです。

通夜の日、「安置室に泊まる」と言う私に対し、
『あなたは声が命なんだから風邪ひいたら仕事にならないでしょ』という母。

父も妹たちも、ほかの親族もみんな…こんな、葬式の日なのに私の仕事を理解し送り出してくれた。

 

10年前、声優になりたいという私を家族全員大反対してたんですよ…

家族にも親族にも芸能関係の人は誰も居ないから、
私の日常を心から理解できる人は今も一人もいないのだけれど

家族や親族ひとりひとりの思いやりと想像力に感謝した。
それがなければ、こんな風に私は受けいれてもらえてはいないだろう。

 

 

通夜にだけは参列することができ、その日の晩は線香守りをしながら故人の棺がある部屋に妹たちと寝泊まりしました。

みんなで笑ったり泣いたり…少しでも長く一緒に居たかった。

 

葬儀当日の朝5時に父に駅まで送ってもらい、始発の新幹線で東京に帰りました。

 

新幹線の中で泣いた。

だけど、泣きすぎたら鼻水で鼻声になるから仕事にならない。

そう思って、少しだけこらえた。

家族には、「今泣かないでいつ泣くのよ。」と言ってたくせに。

 

仕事に向かいながら思ったのは、

悲しめる心も悲しみと向き合う勇気も育んでくれた家族への感謝です。

悲しみに立ち止まってもいいし、悲しみながら進んでもいい。

ただ、泣きながらでもやらにゃいけんことはやらにゃいけん。

「お願いだから当日バラシにだけはならんでくれ!!」と切に願いながら仕事に向かいました(苦笑)

 

私が無事に仕事をやり終えた頃には、

地元ではもう葬儀を終え、火葬場に行っている頃でした。

 

葬儀では、私が故人に生前送った手紙が読み上げられたそうです。

故人は、『わたしは幸せだよ』といつも口にし、周りへの感謝を忘れない人でした。

愛されているか?愛されていたか?と疑う余地もないほど、私を心から愛してくれた人です。

生前、なかなか会いに行けない代わりに東京から何度も電話した。声聴くだけで、安心と元気をもらえました。

それも、もうできない。

 

 

 

最期まで送ってあげられなくて、ごめんなさい。

最期の最後までたくさんのものをくれて、ありがとう。

 

 

自戒を込めてだけど、

もし…

愛しい人の傍に居ることしかできないと嘆くなら、一緒に居ることは他の何よりも愛しい人のチカラになれていることを自覚してください。傍に居るだけでいいの。

愛しい人の傍に居ることもできないと嘆くなら、傍に居られない代わりにあなたが今なすべきことをどうか悔いなく全うしてください。送り出した甲斐がないから。

寂しさなんかで本当の愛はなくならない。

傍にいても離れていても、愛しているし愛されている。

 

 

通夜の前日、母の車の中で

『また今度って言ってないで、生きてるうちに楽しいことしておかなくちゃね。』

と言っていた母の背中を忘れない。

生きてるうちに大好きなひとたちと少しでも多く長く笑顔で生きるからね。

愛して許して感謝して生きてく。

 

葬儀の日に行かせてくれた仕事で得た報酬は、故人のために。お花を買ってお墓参りに行こうと決めています。

愛してくれて、ありがとう。大好き。

 

小林紗矢香


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